高校時代の私は、一度だけ、テレビカメラの前で大きなことを言ったことがあります。
「次の国体で必ず表彰台に上がります」
今思えば、無謀でした。
当時の私は絶不調で、自信もありませんでした。
本音を言えば、「そんなこと言って大丈夫か」という不安のほうが、ずっと大きかったのです。
しかし結果として、その宣言は私の人生を少しだけ変えました。
半年後、私は本当に、国体で3位に入賞したのです。
なぜあの時の目標は実現し、心の中だけで誓った多くの目標は、いつの間にか消えていったのでしょう。
「言ってしまった」
取材の直後、最初に思ったのはこうでした。
「言ってしまった。これで後戻りできない」
かっこよく言ったものの、実際の練習は、思うようにいっていませんでした。
ラップタイムも出ない。コーナリングも決まらない。納得のいく練習ができる日なんて、ほとんどありませんでした。
毎回の練習後、風呂に入りながら、「もう嫌だな」「逃げたいな」と思うこともありました。
それでも、次の日になると、また練習に向かう。
どうすれば良くなるのか。何を変えれば、突破口が見つかるのか。そんなことばかり考えていました。
今振り返ると、私はただ、絶不調から抜け出したかったのだと思います。
なぜ、あんなことを言ったのか
不思議なのは、そんな状態だったにもかかわらず、私は堂々と表彰台を宣言したことです。
なぜあんなことを言ったのか。今になって振り返ると、理由はひとつだった気がします。
私は、未来を信じたかったのです。
私は昔から、人の夢や目標を聞くのが好きでした。中学生の頃、友達に「将来どうするの」と聞いて、進路ややってみたい仕事の話を聞く時間が、好きでした。
その夢が叶う保証なんて、どこにもありません。今の成績や環境とも関係ない。それでも夢を語る人を見ると、なぜかこちらまで元気になったのです。
だから私はずっと思っていました。夢を語ること自体に、価値があるのだと。
当時の私は、確かに絶不調でした。しかし、それはあくまで「今」の話です。
1週間後はどうだろう。1か月後はどうだろう。半年後はどうだろう。未来のことは、誰にもわかりません。
わからないなら、最高の未来を信じてもいいはずです。
だから私はテレビカメラの前で言いました。
「次の国体で必ず表彰台に上がります」
あの言葉は、周囲への宣言というより、未来の自分への決意表明だったのかもしれません。
放送された日
密着取材の放送は、数週間後でした。
テレビの中の自分は、思った以上にかっこよく編集されていました。さすがプロだと思いました。
しかし、目標を語った場面だけは、ほとんどノーカットでした。しかもテロップ付きです。
画面の中の私は、堂々とこう言っています。
「次の国体で必ず表彰台に上がります」
少し恥ずかしかった。けれど、それ以上に思いました。
「やるしかないな」
口だけで終わるほうが、ずっと恥ずかしい。期待を裏切ること。応援してくれる人をがっかりさせること。何より、自分自身との約束を破ることが、嫌だったのです。
ひそかな決心は、かなわない
後から知ったことですが、これには名前がついています。
「公開宣言効果(Public Commitment Effect)」です。
心理学者スティーブン・ヘイズらが1985年に行った実験があります。目標を他人に公開したグループと、心の中だけで考えたグループを比較したのです。
結果、目標を公開した人たちのほうが、明らかに高い成果を上げました。
さらに興味深いのは、目標を心の中だけにしまった人たちと、そもそも目標を立てなかった人たちとの間には、大きな差が見られなかったということです。
ひそかな決心は、決心しないことと、大差がなかったのです。
私はこの研究を知ったとき、高校時代の自分を思い出しました。
あの時の私は、自信があったから目標を口にしたわけではありません。むしろ不安でした。それでも言葉にしたことで、自分自身がその言葉に引っ張られていったのです。
言わない目標は、なかったことにできます。失敗しても、誰にも知られません。だから、途中で諦めても傷つかない。
しかし、言葉にした瞬間、人はその言葉に責任を持ち始めます。逃げ道を、自分で塞いでしまうのです。
もちろん、それは苦しい。だが時には、その苦しさが、前に進む力になります。
ここで、ひとつ、物理の話をさせてください。
ニュートンの運動の第一法則、慣性の法則です。外から力が加わらない限り、静止している物体は静止し続け、動いている物体は等速運動を続ける、というものです。
心の中だけの目標は、静止した物体と同じかもしれません。何も働きかけなければ、そこにずっと留まり続ける。
公開宣言というのは、その静止した目標に、外側から力を加える行為なのだと思います。一度動き出した目標は、周囲の目という「力」を受け続けることで、慣性のように前へ進み続けるのです。
宣言すれば、必ず叶うわけではない
ただし、ここで正直に、種明かしをしておきたいことがあります。
「目標は人に言えば、なんでも叶う」というほど、単純な話ではありません。
ニューヨーク大学のピーター・ゴルヴィツァーらが2009年に発表した研究では、目標を公言することが、逆に行動量を下げてしまうケースが確認されています。
鍵になるのは、「アイデンティティに関わる目標かどうか」という点です。
「弁護士になりたい」「こういう人間になりたい」といった、自分の理想像そのものに関わる目標を人に話すと、脳は「その人物像に少し近づいた」と錯覚してしまうことがあるのです。話しただけで、まだ何もしていないのに、達成に近づいたような満足感を得てしまう。結果として、実際に動くためのエネルギーが、抜けていってしまうのです。
一方で、「国体で3位に入賞する」という私の目標は、アイデンティティの宣言ではなく、明確に測定可能な、具体的な成果目標でした。
理想の自分を語ったのではなく、達成すべき結果を宣言した。この違いが、おそらく分かれ道になります。
もし今、何かを人に話そうとしているなら。「こうなりたい」ではなく、「これを達成する」という、具体的で測定可能な言葉を選ぶこと。それが、宣言を力に変えるコツなのだと思います。
一人で頑張るよりも
もうひとつ、大きかったことがあります。
目標を公開したことで、周りが応援してくれるようになりました。
先生はトレーニング環境を整えてくれました。友人は以前より応援してくれました。家族は食事に気を遣ってくれました。
もちろん、競技をするのは自分です。しかし、人は一人で頑張るより、誰かと目標を共有しているほうが、前に進みやすい。
あの表彰台は、自分一人の力でたどり着いたものではありませんでした。
自信があったから、語ったわけではない
私は当時、自信があったから夢を語ったわけではありません。むしろ、逆でした。
自信がないからこそ、語ったのです。希望を失いたくなかったからです。
今の自分を信じたわけではありません。未来の自分を、信じたかったのです。
人は、強いから夢を語るのではありません。弱いからこそ、夢を語ることがあります。
先が見えない時。思うようにいかない時。自分には無理かもしれないと思う時。そんな時に口にした言葉が、自分を支えてくれることがあるのです。
もし今、心の中だけで温めている目標があるなら、一度だけ、誰かに話してみてもいいかもしれません。
その一言が、未来の自分を動かし始めるきっかけになることがあるのですから。
P.S.
あの時、テレビカメラの前で「国体優勝します」と日和って言えなかったことを今でも後悔しています。