神奈川大学女子バレー部で、2ヶ月間の「脂肪を落とそうキャンペーン」をやりました。
1位の選手の結果です。
体脂肪率マイナス1.2%。骨格筋率プラス6.7%。筋肉量プラス3.2kg。
直近のブロック練習を見ていて、監督も私も、声を出しました。ジャンプが、明らかに変わっていたからです。
データは、嘘をつきません。
今日はこのデータをきっかけに、ずっと考えていたことを書きます。
お金で買えるものと、買えないもの。この境界線の話です。
「お金で買えない」の正体
先に、結論から言います。
お金で買えないものとは、お金を使わずに手に入るもの、という意味ではありません。
お金で「環境」は買えます。でも「自分自身の変化」は、買えません。
ジムはお金を出せば契約できます。トレーナーもお金を払えば雇えます。プロテインも、良い食材も買えます。
でも、筋肉そのものは、誰にも買えないのです。
負荷をかける。栄養を入れる。休む。時間をかける。この4つを、自分の身体でやり切って初めて、筋肉はつきます。誰かに代わりにやってもらうことは、できません。
英語力も同じです。英会話スクールはお金を出せば通えます。留学も、家庭教師も、お金を出せば行けますし、雇えます。
でも、英語を話せる自分そのものは、買えません。
金の切れ目が、縁の切れ目
もっとわかりやすい例があります。恋愛です。
「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があります。
お金でつながった関係は、お金が尽きた瞬間に終わります。当たり前です。それは、そもそも「愛」ではなく、「取引」だったからです。
本当の愛は、買えません。
信頼も、買えません。
信頼というのは、足し算では手に入らないことが、経営学の研究でもわかっています。1995年に発表された組織における信頼の統合モデルという研究では、信頼は能力や誠実さといった要素を積み上げれば得られるものではなく、相手との一貫した関わりの中で育つ、関係的なものだとされています。
つまり、信頼はショートカットできません。時間をかけて、本人同士が向き合うしかないのです。
本当の金持ちほど、地味になる
ここから、少し面白い話をします。
私はパーソナルトレーナーとして、いわゆる「成功者」と呼ばれる人たちに、何人も出会ってきました。
肌感覚として、はっきり言えることがあります。
資産1億円クラスの人は、見栄っ張りが多い。
高級品を身に付けます。誰が見てもわかる、高価なものを選びます。
ところが、資産10億円を超えてくると、その傾向が、ふっと消えます。
服はそれなりにきれいな装いではあるが特別高級品ではないですし、時計は機能性を重視したアップルウォッチだったりします。カバンも靴も、ごくごく普通。街を歩いていても、誰も気づきません。
なぜか。
私の見立ては、こうです。彼らは、本当の金持ちであることを、周りに隠す必要があるからです。
隠す理由は、いくらでもあります。妬まれたくない。狙われたくない。値踏みされたくない。だから、あえて庶民に溶け込む。カメレオンのように、周囲に同化するのです。
これは、経済学でいう「ヴェブレン効果」の、ちょうど裏返しの現象だと思います。
経済学者ソースティン・ヴェブレンは、1899年の著書の中で、富裕層ほど、高価なものを見せびらかす消費に走る、という現象を指摘しました。顕示的消費と呼ばれるものです。
しかし、私が現場で見てきた本当の富裕層は、その逆でした。もはや、見せびらかす必要すらないのです。
そして、面白いのは、ここからです。
見栄を張ることをやめた人ほど、筋トレを継続します。トレーナーをつけて、自分の身体と、淡々と向き合い続けます。
見た目を「買う」ことに興味を失った分、リソースが、自分の中身に向かうのです。継続性が高いから、成長も、当然早くなります。
心理学にも、近い知見があります。心理学者ティム・カッサーとリチャード・ライアンが1993年に発表した研究では、経済的成功のような外発的な目標を人生の中心に置いている人ほど、幸福度が低い傾向にあることが示されています。
お金や見た目といった、外側の評価軸から自由になった人。その人だけが、内側の成長に、全力を注げるのだと思います。
時間だけは、取り戻せない
もうひとつ、絶対に買えないものがあります。
時間です。
お金で、時間を節約することはできます。タクシーに乗る。家事代行を使う。人を雇う。
実際、2017年に発表された研究では、時間を節約するためにお金を使う人ほど、生活満足度が高いことがわかっています。
でも、これは「これから使う時間」を生み出しているだけです。
過去に失った時間は、絶対に買い戻せません。
20歳の身体を、100万円で買うことはできません。
10年前の子どもとの時間を、1億円でも取り戻せません。
昨日という日は、どれだけお金があっても、二度と戻ってこないのです。
20代のうちに、気づいてほしいこと

ここまでの話をまとめると、こうなります。
お金で直接買えるもの。家、車、服、時計、旅行、サービス。
お金で「可能性」を高められるもの。健康、知識、スキル、人脈。
お金では、絶対に買えないもの。筋肉、信頼、愛情、覚悟、時間、人生そのもの。
そして、この「買えないもの」の正体は、すべて同じです。
自分自身が、経験し、行動し、時間をかけて、自分の手で生成するしかないもの。それだけです。
本当の金持ちは、若いうちに、これに気づいた人たちだと、私は思っていました。
でも、実際に話を伺ってみると、そうではありませんでした。
彼らは皆、大きな失敗を経験していました。何周も何周も、同じような失敗を繰り返してから、今にたどり着いていたのです。
人間の心の弱さや、欲望の恐ろしさというのは、身にしみてわからないと、気づけないものなのだそうです。タイミングがいつ来るかは、誰にもわかりません。何度も、同じ轍を踏む。それでも、同じ失敗を何度も繰り返してきたからこそ、今はそれを笑い話にできる。ある方は、そう話してくれました。
これを聞いたとき、私はある漫画を思い出しました。藤子不二雄Ⓐさんの『笑ゥせぇるすまん』です。
主人公の喪黒福造は、悩みを抱えた現代人の欲望を、そっと叶えてくれます。しかし、約束を破ったり、忠告を聞き入れなかった者には、必ずその代償を払わせる。一話完結で、そんな物語が繰り返される作品です。
あの漫画が描いているのは、人間の愚かさや弱さそのものです。うまい話には、必ず裏がある。わかっていても、人は同じ罠に、何度でも落ちてしまう。あれは、勉強になる漫画だと、心底思います。
原型となる『黒ィせぇるすまん』が発表されたのは、1968年。昭和43年です。連載が始まったのは、その翌年でした。
もう、60年近く前の話です。テレビもまだ白黒だった時代に描かれた、人間の欲望と弱さ。
それが、令和のこの時代になっても、まったく古びていません。
スマホもSNSもAIもなかった時代に、藤子不二雄Ⓐさんが見抜いていた人間の本質は、時代がどれだけ進化しても、びくともしていないのです。
これは、皮肉でもなんでもなく、私は純粋に面白いと思っています。テクノロジーは、恐ろしいスピードで変わり続けています。でも、人間そのものは、そう簡単には変わらない。
見栄を張りたい。楽をしたい。うまい話に飛びつきたい。この欲望の構造は、昭和も、令和も、驚くほど同じなのです。
本当の金持ちというのは、賢く一足飛びに悟りを開いた人たちではないのだと思います。むしろ、人一倍、欲望に振り回され、何度も痛い目に遭ってきた人たちです。
その何周もの失敗の果てに、ようやく「見た目にお金を使うことに、意味がない」と、腹の底から理解する。そこから初めて、自分の身体や、自分の時間そのものに、リソースを注ぎ込めるようになるのだと思います。
だから私は、そうした方々から伺った話を、自分の教訓として生きるようにしています。自分自身がすべてを身をもって失敗しなくても、先に転んだ人たちの話から、学べることは、きっとあるはずです。
これは、お金持ちだけの話ではありません。
20代のうちから、お金で買えないものの価値に気づけるかどうか。そして、お金では買えない部分に、自分の時間や本気度といった、お金以外のリソースを、どれだけ割けるか。
これこそが、5年後、10年後の差を作ります。
冒頭のバレー部の選手の骨格筋率は、誰にも買えませんでした。
彼女自身が、2ヶ月間、自分の時間と本気を注いで、作ったものです。
それだけが、本物です。
参考文献・データ出典
- 藤子不二雄Ⓐ『黒ィせぇるすまん』(1968年発表、1969年連載開始)/のちに『笑ゥせぇるすまん』に改題(1989年アニメ化を機に)、小学館
- Mayer, R. C., Davis, J. H., & Schoorman, F. D. (1995). An integrative model of organizational trust. Academy of Management Review, 20(3), 709–734.
- Veblen, T. (1899). The Theory of the Leisure Class: An Economic Study of Institutions. Macmillan.(邦訳:『有閑階級の理論』)
- Kasser, T., & Ryan, R. M. (1993). A dark side of the American dream: Correlates of financial success as a central life aspiration. Journal of Personality and Social Psychology, 65(2), 410–422.
- Whillans, A. V., Dunn, E. W., Smeets, P., Bekkers, R., & Norton, M. I. (2017). Buying time promotes happiness. Proceedings of the National Academy of Sciences, 114(32), 8523–8527.